大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(刑わ)3315号 判決 1974年4月25日

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

本件起訴状およびこれについての検察官の訂正・釈明を総合すると、本件公訴事実の要旨は、

被告人は、上野製薬株式会社が特許を得て製造販売しているニトロフラン誘導体豆腐用殺菌剤AF―2(商品名「トフロン」)が、国連の世界保健機構および食糧農業機構の合同委員会において定められた方法に従つて行なわれた急性および慢性毒性試験によつて、昭和四〇年七月五日厚生大臣から、人の健康をそこなうおそれのないものとして、食品添加物として用いることができる化学的合成品に指定されており、真実人の健康をそこなうおそれのない食品添加物であるのに、

第一、1 昭和四三年七月二三日ころ、東京都千代田区神田駿河台二丁目九番地株式会社三一書房から自己の著書「危険な食品」を出版するにあたり、その二〇一頁から二〇五頁、および二四七頁に、「豆腐屋が希望もしないのに、AF―2という毒性のある殺菌剤が許可されるようになつた。」「このAF―2を特許をもつて独占的に製造販売しているのは上野製薬」「せめて、安くておいしくて栄養のある豆腐くらいは、毒を入れないようにしてもらいたいものである。」「たいへん有害な食品添加物である。」旨虚偽の事実を記載し、その著書約一六万八千部をそのころから昭和四四年一一月三〇日ころまでの間に全国書店などを通じて読者に販売頒布し、

2 昭和四四年五月一〇日、東京都荒川区西日暮里六丁目四一番三号株式会社芳信社から自己の著書「改訂版恐るべき加工食品」を出版するにあたり、その四三頁から四五頁に「豆腐に防腐剤」と題し、「その防腐剤がトーフロン(ニトロフラン誘導体)というたいへん毒性の強い、しかも日本だけしか許可されていない有害薬品であるから、困つたものである。」旨虚偽の事実を記載し、その著書約三、一三五部をそのころ同都千代田区神田錦町三丁目一番地株式会社オーム社を介して、全国書店などを通じて読者に販売頒布し、

もつて、虚偽の風説を流布して右上野製薬株式会社の業務を妨害し、

第二、昭和四四年五月一日午後零時ころ、東京都港区六本木六丁目四番一〇号株式会社日本教育テレビにおいて、「NETテレビ桂小金治アフタヌーンショウ」に出演し、前記トフロンが食品添加物として有毒であることを示すため、容量約二〇〇CCのガラス製様コップに金魚二匹および水半分くらいを入れたものに、トフロンを投下して金魚が即死することを実演しようとしたが、相当量のトフロンを投入してもそれだけでは金魚が即死しないことを知つて、トフロンをアルコール約九〇CCで溶解したものを右コップ中に投入して実験を演じたうえ、「これはニトコフラン誘導体で豆腐に使われている防腐剤です。」などと説明し、その際右金魚二匹はもつぱらアルコールの作用により死亡したのにトフロンの毒性で死亡したものとして放映し、もつて偽計を用いて右上野製薬株式会社の業務を妨害した(罰条は、いずれも刑法二三三条)、

というものである。

(当裁判所の判断)

一公訴事実第一について。

1序論

本件公訴事実中、ニトロフラン誘導体豆腐用殺菌剤AF―2(商品名トフロン)が厚生大臣から食品添加物として指定されていることおよび被告人が公訴事実記載のとおり、各著書を出版し、それが全国の読者に販売・頒布されたことは、被告人・弁護人も争わないところであるし、関係証拠に照らし明白であり、本件の争点は、右食品添加物が真実人の健康をそこなうおそれのないものであるか否か、その指定にあたつて十分な毒性試験が行なわれていたか否か、被告人が本件各著書を執筆するにあたつてこれらの点をどのように認識していたか、そしてその根拠は何かといつた点にあつた。本件の証拠調(公訴事実第二のみに関するものを除く。)の経過を振り返ると、まず検察官において、問題の「AF―2」が食品添加物として厚生大臣から指定されるに至る経緯とあわせて、「AF―2」が真実人の健康をそこなうおそれのない食物であることを立証しようとし、その後これに対し、被告人側の方で、「AF―2」が真実人の健康をそこなうおそれのある食品添加物であり、即刻厚生大臣の指定は取り消されるべきであることを立証しようと努め、いわば「AF―2」の食品添加物としての適性あるいはその指定の当否自体をめぐつて双方の応酬があり、これが証拠調の時間の大半を占めたと言つても過言ではない。そのため本件の審理は科学論争の様相をも呈していた。

しかしながら、当裁判所は、後にみるような刑法二三三条の業務妨害罪についての法解釈から、この点の科学論争は、仮に被告人が有罪とされた場合の情状としての関連性はともかくとして、被告人の本件についての刑事責任の存否と直接的な関連性はないのであり、被告人の刑事責任の存否を決するキイポイントは、被告人が本件各著書執筆当時は「AF―2」の毒性等著書に記載した事項について収集していた情報の質・量、および被告人のその当時の「AF―2」の毒性についての認識内容といつた点にあると考える。

さて、以下主文の判断に至つた理由を述べるにあたり、説明の便宜上、まず、「AF―2」の開発の経緯、その食品添加物としての指定の経緯、指定の基礎とされた毒性試験およびこれに対する批判の概要、「AF―2」の食品添加物としとしての適性および指定の当否についての諸見解の概要、および以上の点についての当裁判所の一応の評価を述べることとするが、前述の観点から、あまり深く立ち入らないこととし、次いで、本件各著書中、起訴の対象とされている部分の記述自体を、その各著書全体との関連で検討したうえで、被告人がこれらの著書を出版するに至つた経緯、「AF―2」についての記載の根拠とした情報の質・量、および被告人の「AF―2」の毒性等に関する認識内容といつた点についての事実認定を述べ、最後に、刑法二三三条にいう「虚偽の風説」の意味、この点についての故意の内容といつた点についての法解釈を示しつつ、当裁判所が本件ついて被告人を無罪とした理由を述べることとしたい。

2「AF―2」について

(一) 開発および食品添加物としての指定の経緯

(1) まず、「AF―2」とは、正式の学名を2―(2―フリル)―3―(5―ニトロ―2―フリル)アクリル酸アミドという、ニトロフラン誘導体に属する化学物質であつて、上野製薬株式会社(以下単に「上野製薬」とする。)の申請により、昭和四〇年七月五日、食品衛生法六条および七条に基づき厚生大臣から厚生省令第三七条をもつて人の健康をそこなうおそれのない化学的合成品として食品添加物(殺菌料)としての使用目的での製造・販売等の許可指定がなされ、同省告示第三五四号により使用等につき基準・規格を定められ、上野製薬が特許を得て製造販売しているものであり、本件で問題となつている「トフロン」とは、この「AF―2」を可溶性澱粉あるいは乳糖などの賦形剤により六五倍に薄め、豆腐用殺菌料として上野製薬が製造販売している商品の名称である。

なお、「AF―2」は、後にみるように、豆腐以外にも魚肉ハム等数個の食品にその使用が許可指定されており、それらの食品のための殺菌料としても上野製薬により商品化されているものであるが、これらについては本件起訴の対象とはされていないので、「AF―2」の食品添加物としての指定について検討するにあたり一応考慮の対象とせざるをえないものの、以下「AF―2」というときは、主として「トフロン」のことを念頭におくこととし、特に商品自体が問題となつているときにかぎり「トフロン」という用語を用いることとしたい。

(2) さて、「AF―2」の開発の経緯をみると、まず昭和一九年米国において、ニトロフラン誘導体系の化合物ニトロフラゾーンが合成され、微生物抑制作用を持つことから医薬品として用いられるようになつたが、やがて、その情報が我国にももたらされ、その抗菌性の強い点が着目され、昭和二三年ころから上野製薬ほか数社で、医薬や医薬以外の用途特に食品添加物としての研究、開発が進められた。また、これと並行して、上野製薬が中心となり、ニトロフラゾーンよりも一層抗菌力および毒性の面で優れたものを開発すべく、大阪大学ほか各大学の医学、合成化学、薬理学等の学者の協力を得て研究が進められ、昭和二四年ニトロフリルアクリル酸アミド(商品名「Zフラン」)という同じニトロフラン誘導体系の化合物が合成され、これについてもニトロフラゾーン同様の研究が進められた。

その結果、ニトロフラゾーンおよびニトロフリルアクリル酸アミドは、相次いで厚生大臣により合成殺菌料としての許可指定を受け、「AF―2」が同様の指定を受けるまでの間、魚肉ねり製品等の加工食品や豆腐などに用いる合成殺菌料として小野製薬により商品化され、製造・販売されていたが、この間も、上野製薬が中心となり、前同様諸大学諸学者の協力を得て、これらよりも抗菌力が強く毒性の少ないニトロフラン誘導体系の化合物の合成、開発を目指して研究が続けられ、昭和三三年九州大学薬学部教授西枝東雄によつて「AF―2」が合成されるに至り、これについての研究が進められた結果、上野製薬はこれを食品添加物(合成殺菌料)として開発できるのでないかとの見通しを持つようになり、その毒性試験を二、三の研究所等に依頼した。これを受けて昭和三六年ころから国立予防衛生研究所水野伝一、大阪市立衛生研究所井関統裕および千薬大学腐敗研究所教授相礎和嘉のもとにおいて毒性試験が開始され、上野製薬はこれらの試験結果を考慮しつつ、昭和三七年二月、「AF―2」の食品添加物としての指定を厚生省に対して申請するに至つた。

(3) 厚生大臣は、「AF―2」の食品添加物としての指定について食品衛生調査会の諮問に付し、同調査会は、添加物器具部会、有部会廃止後は毒性部会および右部会と添加物部会との合同部会における合計八回にわたる審議を経て、最終的には昭和四〇年五月六日の合同部会において指定を可とし、その旨の答申をしたが、その審議経過は大略次のとおりである。

イ 当初、上野製薬から提出された毒性に関する資料としては、急性および亜急性の毒性試験結果のほか、慢性毒性については前記相磯教授作成のラットを用いた六か月間の試験結果しか提出されていなかつた。しかし、当時、厚生省は、一九五八年の国連の世界門健機構(WHO)および世界食糧機構(FAO)の合同委員会の勧告(以下、単にWHO勧告とする。昭和年押第一八二五号の符号二〇。弁第七号証。以下押番号については、符二〇、弁護人の付した証拠番号は弁七というように略記することとする。)に基づき、我国ですでに指定になつている食品添加物を再点検し、またことに並行して、食品添加物の指定および使用の規格・基準の設定に関する食品衛生調査の審査基準案作成の作業を進めていた。そこで、同省は、新たに食品添加物として申請のあつた化学的合成品の審査にあたつても、なるべくWHO勧告の基準に沿つた線でこれを行なう方針を固め、「AF―2」については以後の毒性実験の具体的基準例としたいと考えて、実験期間は動物の一生に及ぶこと、実験動物は二種類以上であること、世代実験、催奇型性実験、代謝実験等を公立の二か所以上の試験機関で実施すること、などの勧告を上野製薬に対して行つた。

ロ、上野製薬はこの勧告を了承したうえ、特に、それまでの前記相磯教授の試験において、ラットに「AF―2」を六か月ないし一年間経口投与したところ、肝臓が1.5ないし二倍に肥大する所見が資料中に認められ、また、ニトロ基化合物のうちには、いくつかの発がん性物質もあることから、「AF―2」の使用にあたつても、肝臓の肥大ががん発生につながる可能性も考えられるとの、食品衛生調査会における指摘があり、この点についての資料の提出を求められたこともあつて、昭和三八年六月ころ発がんに肝臓がんに関する病理学の権威である大阪大学医学部教授宮地徹に「AF―2」の発がん性に関する十分な検討を含めた前記厚生省の勧告に沿うような動物実験の依頼をした。宮地教授はこれに応じてラットおよびマウスを使用しての毒性実験を開始し、まず、昭和三九年九月ころ教授の「AF―2一年投与後三か月対照食投与ダイコクネズミの臓器所見」と題する実験データ(符八、以下「宮地データー」とする。)が厚生省に提出され、その後昭和四〇年一月ころ、同教授の「ニトロフラン誘導体の経口投与によるによるダイコクネズミの諸臓器についての病理形態学的研究、とくにAF―2について」と題する実験データ(符九、以下「宮地データⅡ」とする。)が、同年五月ころ、同教授の「AF―2の一年六か月の慢性毒性試験」および「ニトロフラン投与マウスの次世代への影響に関する実験」と題する各実験データ(符七および五、この両者を合わせて以下「宮地データⅢ」とする。)が、それぞれ厚生省に提出されている(なお、以下の宮地データの表題には実際は前述の正式の学名で記載されているが、便宜上「AF―2」略記した。)上野製薬はこのほかにもさまざまな実験データを資料として厚生省に提出しているが、こと慢性毒性に関する限り、以上の宮地データが最も重要なものとして食品衛生調査会の審議資料にされたものである。

ハ、宮地データⅠが提出される以前の食品衛生調査会添加物器具部分会での審議においては、前記のように発がん性を懸念する意見があつたほか、そもそもこのようなニトロ化合物は許可しがたいのではないかとの意見など消極的意見もかなり強かつたようであるが、宮地データⅠが提出されたのちの昭和三九年九月一五日の毒性部会小委員会において、ラットにおける肝臓肥大が腫瘍発生につながるか否かについての検討がなされ、結論として腫瘍発生につながるとはいえないすなわち発がん性は否定されるということになり、同年一〇月二一日の毒性部会において、「AF―2」は食品添加物としての適性を有し、そのラットにおける最大安全量は6.25ミリグラム/キログラム(飼料中0.0125%投与)であり、これまでの飼料では安全係数を二〇〇とすべきであるが、生涯試験の資料の提出があれば、その結果により一〇〇としてよいということで可決された。

しかし、続く昭和四〇年一月二一日の添加物部会と毒性部会との合同部会(以下単に「合同部会」とする。」においては、殺菌効果の資料の提出および「AF―2」投与の家兎の尿中の抽出物が何であるかの追究が要求されたほか、ニトロフリルアクリル酸アミドとの相乗毒性が問題とされたり、それまでに提出された資料中の適当なものについて国立試験所で再試験をする必要があるのではないかとの意見も提出されたが、その後宮地データⅡ、Ⅲが提出され、同年五月六日の合同部会において、「AF―2」を次のような使用基準のもとで、かつ、次のような附帯事項を遵守することを条件として、食品添加物として許可指定することを厚生大臣に答申する旨の議決がなされた。

A 使用基準(計算根拠はAF―2の最大安全量9.1ミリグラム/キログラム、安全係数1/200、許容一日摂取量2.1ミリグラム/五〇キログラムである。)

魚肉ハム、魚肉ソーセージ 0.02グラム/キログラム以下

魚肉ねり製品(魚肉ハム、魚肉ソーセージを除く)0.0025グラム/キログラム以下

食肉ハム、ソーセージ、ベーコン、豆腐、あん類 0.005グラム/キログラム以下

B 付帯事項

次の試験を行なうこと。

(Ⅰ) 生体内変化。

(Ⅱ) ダイコクネズミの体重についての慢性毒性試験。

(Ⅲ) 二世代に及ぼす影響。

(Ⅳ) 食品中において本物質は減少するので、これらの試験を含めて、本物質の食品中における化学変化についての試験。

(Ⅴ) 腸内細菌叢に及ぼす影響。

さて、附帯事項付で許可すべきであるとされたいきさつについては、食品添加物の指定基準がすでに検討済であるので、本物質についてもこれに従うべきであると考えられるが、従来の経過から、また、ニトロフラゾーンおよびニトロリルアクリル酸アミドと比較して毒性がよく検討されているということを考えると、本物質を食品添加物として認めざるをえないし、できれば、期限を付して指定し、その間に指定基準に沿つた試験を行なうべきものと考えるが、法規的に期限付指定が不可能であるので、このようにしたことである。なお、魚介乾製品にはソルビン酸が認められる予定であるから、「AF―2」の使用は認めず、また、ニトロフラゾーンとニトロフリルアクリル酸アミドは削除する旨議決されている。

ニ 以上の食品衛生調査会の議決答申に基づいて、前記イ記載のとおり「AF―2」は厚生大臣により合成殺菌料として食品添加物の許可指定およびその使用等の基準・規格の決定を受けたわけであるが、右付帯事項に従つて昭和四〇年八月から昭和四二年八月にかけて宮地教授による「AF―2のマウスにおける二か年間の慢性毒性試験」(符四)、「AF―2の二か年の慢性毒性試験」(符六)、「長期間飼育した呑竜系♂ダイコクネズミの体重と飼料摂取量」(符一〇)および「AF―2のマウスおよびラットにおける四世代におよぶ(二か年間)安全性に関する研究」(符一二)と題する各実験データ(これを合わせて、以下「宮地データⅣ」とする。「AF―2」の略記については前同様。)、ならびに、九州大学薬学部教授塚本久雄による「ニトロフラン誘導体の生体内代謝に関する研究、AF―2およびニトロフラゾーンの生体内代謝について」と題する研究結果が、厚生省の提出されている。

(二) 指定の基礎となつた毒性試験およびこれに対する批判の概要

(1) まず、「AF―2」の食品添加物としての指定に際し、その慢性毒性について、最も重要な基礎資料を提供し、右指定後も、厚生省の指示により資料を提供している前記宮地教授の動物実験についてみると、同教授は病理学ことに肝臓がんの権威であるが、「AF―2」についてそれが発がん物質ではないかとの興味と、WHO勧告にそつたこの種の動物実験のモデルを示したいとの決意のもとに、前記宮地データⅠ〜Ⅳに示されるような各種の動物試験を行なつた。そして、同教授によると、ダイコクネズミなどについて飼料中0.2%あるいは、0.05%の「AF―2」を投与したときには肝臓肥大が比較的早い時期に発生するが、その肥大には限度があり、かつ、一年投与投与後三か月投与をやめれば、その肥大は減少する傾向があるので、それは進展性のものとは認められず、可逆性のあるものであり、また、その肥大にともなつてがん発生ないし前がん症状も認められなかつたし、飼料中0.0125%一年六か月投与の試験では肝臓肥大は発生せず、これらのネズミは無投与の対照群のネズミと比べて成長の有意差がなく、また、右割合による一年投与後、解剖し、電子顕微鏡で観察した結果でも、心臓、腎臓、肺、胃、小腸、甲状腺、睾丸、卵巣、骨髄などの諸臓器について病理組織学的な病変は認められず、さらにマウスの雄、雌に「AF―2」を投与して実験した結果でも、生殖能力や胎児に対する影響は認められず、催奇形性は示されなかつたし、マウスを用いての二年間の慢性毒性試験やマウス・ラットにおける四世代におよぶ安全性についての試験においても、飼料中「AF―2」を0.0125%添加の範囲内では、特に問題とすべき点は見出されなかつた、ということである。

なお、同教授は、この実験結果をのちにがん学会や病理学会において発表したほか、英文でThe Tohoku Journal of Experimental Medicine Vol.103, No.4.(昭和四六年四月刊、高橋晄正作成の鑑定書((以下、「高橋鑑定書」とする。))添付資料2((原文))および3・4((訳文)))などの世界的にも権威のある専門誌に発表し、国内のみならず海外の各方面から画期的な実験として注目されたのであるが、まちがつているとの批判は受けていないとのことであり、さらに、同教授は宮地データⅣを提出後も犬および猿を用いて飼料中「AF―2」0.125%の経口投与の観察実験を継続中であるが、特段の異常な変化は認められないことである。

(2) これに対し、東京大学医学部講師高橋晄正は、宮地教授の実験につき、実験管理の不良性、毒物投与範囲の不適当性、病理組織学の限界性看過、データの解折の不充分性等種々の批判を展開しており、宮地教授が飼料中「AF―2」0.0125%添加ではラット・マウスに特に変化はないとしているのは誤りであり、統計学的に解析すると体重や諸臓器重量に明らかに有意差が認められるとし、そのほか、宮地データとあわせて食品衛生調査会の審議資料とされた前記相磯教授による実験データ(高橋鑑定添付資料5)、および、審議資料とはされていないもののようであるが前記井関氏による実験データ(同6)をも批判的に検討し、これらについても同様のデータ解析を行なうと、「AF―2」のラットにおける無作用量は0.000005%添加付近にあり、厚生省の現行の安全基準の二五〇〇分の一である、と結論づけている。また、高橋講師は、「AF―2」についての食品衛生調査会の審議経過についても検討を加えたうえ、種々の疑問を指摘しているが、とりわけ、毒性部会小委員会および毒性部会で「AF―2」について可決するにあたり、その時点ではたして十分なデータがそろつていたといえるだろうかと強い疑問を投げかけている。

(3) 次に東京医科歯科大学教授柳沢文徳は、食品添加物は必要不可欠なもの以外用いないほうがよいとの持論を有しているうえ、これまでの厚生省の食品衛生に関する行政のあり方に不信の念をいだいており、「AF―2」は、日本でだけしか使用されていないものであつて、諸外国での実験データもないことから、相当の危険を感ずると述べ、外国文献中に日本でニトロ化合物を食品添加物として使用していることを批判的にみているものがあることを指摘している。

また、「AF―2」の急性毒性は、マウスで、五〇%致死量は、投与後二四時間までで、体重一キログラムにつき四六四ミリグラム、四八時間ないし七日間までで、体重一キログラムにつき三九七ミリグラムであるところ、同教授は、これは毒劇物に近いといつてもいいほどの急性毒性であるし、このように急性毒性の強いものは食品添加物として好ましくないとしているほか、相乗毒性について、「AF―2」と中性洗剤などの界面活性剤との相乗効果について研究したが、すべての物質についての相乗毒性の研究は不可能であり、また、WHO勧告に準拠した毒性試験をしたからといつて、その添加物が人間に絶対に安全であるとはいえない、などと述べている。

(4) なお、以上のほか、「AF―2」の指定については、被告人および高橋講師らが種々の疑問や批判を展開しているが、被告人の見解については後記3以下に譲ることとし、被告人以外の人々の見解については、必要に応じて次の総合的考察の中や後記3以下において簡単に、触れるにとどめることとする。

(三) 「AF―2」指定の当否についての考察

(1) まず、「AF―2」についての毒性試験に対する高橋講師による前記批判を検討すると、これに対しては宮地教授自身、当裁判所の証人尋問調書(二回目)において逐一反論を加えており、また、高橋講師の当公判廷における証言をみると、肝心のデータ解析の面において数回に及ぶ訂正を重ねているという事情もあるから、同講師の指摘をそのままうのみにすることは到底できないというべきであり、宮地データ(Ⅰ)ないし(Ⅳ)をはじめとする各種試験において、「AF―2」が厚生大臣の決めた使用基準においてなお有害であると断定するに足りる結果が出ていたと認めるのはちゆうちよせざるをえない。しかし、同講師のデータ解析のすべてが誤りであるとはいえないし、中には傾聴にあたいとすると思われると点もかなりあり、この点については、今後の識者の検討を期待したい。

(2) 次に、食品衛生調査会における審議経過について検討すると、この点については高橋講師の疑問、ことに、毒性部会における可決は資料が未だ十分とはいえない段階でなされたのではないかとの点は、一応もつともだと思われるうえ、当初の上野製薬による許可申請書中には豆腐についての記載がないのに、豆腐についての使用基準までが定められていること、ニトロフラゾーンおよびニトロフリルアクリル酸アミドが「AF―2」許可と同時に取消となつた理由が必ずしも明らかでないこと、「AF―2」指定後まもなく食品添加物の指定基準が定められたが、なぜそれに先立つて付帯事項を付してまで「AF―2」の指定をしなければならなかつたかが必ずしも明らかでないこと、などの疑問がある。

また付帯事項(Ⅰ)および(Ⅳ)についてであるが、上野製薬松田道生氏の研究によると「AF―2」はかまぼこ等に混入し、加熱処理した場合、たん白質(SH基)と結合し、摂氏九〇度では三〇分間で三〇ないし五〇%が分解(失活)し、他の物質に変化するが、その物質は現在の段階では、これらをとらえる定量法がないため、その性質、構造が判明していないし(ただし、現在までの実験等の結果では、別段有害な物質ではないとのことである。)前記塚本教授の研究(符一三)や宮地教授によると、「AF―2」は生体内でそのラジオアクテイヴイテイが四八時間内に99.8%回収され、体内に残留することはないとのことであるが、反面、生体内で分解する代謝物が何であるか、その化合構造は目下のところ、その定量化が困難で、把握されておらず、その毒性については末解決のままである。

しかしながら、「AF―2」の審議当時までの他の食品添加物についての毒性試験や審議のありかたにくらべ、「AF―2」については画期的ともいうべき毒性試験が行なわれ、それを参酌しつつ申請以来約三年間の審議がなされていること、ならびに前記(1)に述べたところおよび当時の食品添加物についての一般の考え方などを考慮すると、右のような疑問点があるからといつて、ただちに「AF―2」の指定は不当であると決めつけることはできない。

(3) 続いて、前記の現実に行なわれた毒性試験のみで、「AF―2」が人の健康をそこなうおそれががないと判定するに十分であつたかどうかをみると、「AF―2」について行なわれた試験は、完全に従つたとまではいえないにしても、WHO勧告の線に大体そうものであつたといえよう。しかし、高橋講師はこの点に関し、「AF―2」とその化合構造が類似するニトロフラン誘導体系の化学物質について、その薬品としての副作用等に関する内外の文献を指摘し、そのような害作用がないかどうか慎重に検討すべきであつたとしており、他の点はともかくとして、哺乳動物などの神経機能に与える影響の調査が十分でないと思われるふしがある。

また、前記の柳沢教授の見解は、十分に理解できるところであり、なるほど「AF―2」一つをとつてみても相乗毒性その他検討すべきことはおそらく無限といつてよいほどであるであろうし、したがつて、人間にとつて絶対的に無害だという科学的証明が成就するということは、厳密にいうならば、ありえないということになろう。しかし、一方で細菌による食中毒の防止や食生活の経済化・合理化等に果たす食品添加物の役割もまた軽視でないのであり、真に絶対不可欠な食品添加物以外一切禁止という立場をとるべきか、そうではなく、一定の基準で有用性のある食品添加物は許すという立場をとるべきか、また、後者の場合その基準をどのように定めるべきかは、利益較量の価値判断をともなうきわめて困難な問題であるといわなければならない。

(4)「AF―2」については、現在においても宮地教授をはじめ多くの学者等によつて研究が進められているが、最近、培養した大腸菌およびカイコの染色体に強度の作用を及ぼし、突然変異を起こすという実験結果が、国立遺伝研究所田島弥太郎氏らによつて、発表され、厚生省に対し早急に行政措置を講ずるようにとの申し入れがなされたということであり、一時マスコミによつて大きくとり上げられたことがある。宮地教授によると、右の結論を哺乳動物にあてはめるのは、相当でなく、哺乳動物では「AF―2」は肝臓で無毒化されるので、突然変異を起こす性質は失われるとのことである。現在までのところ、「AF―2」の指定はそのままであるが、右の突然変異の問題は発がん性にもつながるのではないかとの懸念ももたれ、関係各方面の関心を集めているところである。なお、これに先立ち、昭和四八年四月二八日厚生省告示第九八号をもつて「AF―2」のあん類への使用を禁止することにしているが、その理由は詳らかではない。

また、これは直接食品添加物としての適性の問題とはいえないが、高橋鑑定書や証人永井キミに対する尋問調書および同柿上義重の当公判廷における供述等の関係各証拠によると、Zフランおよびトフロンを使用している豆腐業者のうち、主として油揚を作る栃木県の女性三人が類似の原因不明の病気にかかつている(うち一名は死亡。)ことが認められる。これについて、高橋講師はトフロンが油揚を作るときの高温で気化し、「AF―2」がニトロ基のほかにアクリル酸アミドを含む分子構造を合わせ持つているところから、分解してアクリル酸アミドという神経への毒性の強い物質を生じるか、あるいは「AF―2」自体のまま同様の性質を帯びており、これを吸入したことが原因ではないかとしているが、宮地教授および上野製薬社長上野隆三氏によると理論上でも、また実験の結果でも、「AF―2」は分解してもアクリル酸アミドを生成することはないし、「AF―2」がアクリル酸アミドが固有にもつている作用を及ぼすこともないとのことである。いずれにせよ、右三人の症例およびその原因ならびに他に類似の患者がいないかどうかについては、なお今後の検討が必要であると思われる。

(5)以上によると、「AF―2」について厚生大臣の定めた基準の範囲内で人の健康をそこなうおそれがあると断定するに足りるような資料は今までのところ見あたらないが、さりとて、今後そのような資料があらわれないとの保障もないのであつて、今後の研究の進展がまたれるところである。そして、このような流動的状況下における食品添加物を行政上どのように取り扱うべきかは、前記(3)の末尾に述べたとおりきわめて困難な問題であるが、ここではこれ以上立ち入らないこととする。

3本件各著書中の「AF―2」についての記載部分

(一) 「危険な食品」(符一)

A 起訴の対象となつている記載部分(傍点は公訴事実に引用されている部分を示す。)

イ 二〇一頁ないし二〇五頁

(「第七章自然食を荒すもの」中の末尾に「豆腐を毒するもの」と題して)

豆腐屋という職業は、働き者でないと勤まらないといわれている。前の晩に水洗いして、水につけておいた大豆を、朝、二時か三時ごろ起きだして仕こみにかかる。手のちぎれるような厳寒の朝でも、これを欠かすことはしない。

どうしてこのような習慣になつたかというと、豆腐という食物は朝つくつて、その日のうちに売つてしまわねばならないからである。それだけに豆腐はいつも新鮮で、安くておいしくて、タン白質と肪脂に富んだ、すぐれた食物であつた。ここで「あつた」と過去形で表現したのは、いまは完全にすぐれた食物であると、手放しでほめるわけにはいかなくなつたからである。

それは、べつに豆腐屋が希望もしないのに、「AF―2」という毒性のある殺菌剤が許可されるようになつたからである。

豆腐屋という商売は、家内工業が圧倒的に多い。夫婦で朝早く起き、夫は作り終ると、天ビンをかついで(今はバイクだが)町中を売りに廻る。妻はかいがいしくあとを片づけるといつた微笑ましい風景をよくみることがあるが、それだけに一日の生産には限界がある。一日に三〇〇丁から五〇〇丁というのが普通の営業形態であるから、二日も三日も保たせるような殺菌料は、はじめから要らないのである。

このように、業者がそれほど必要としていない食品添加物を許可している例は、前記したように、ほかの食物にもあつて、パンの防腐剤であるプロピオン酸ナトリウム、味噌の退色防止剤の塩化アルミニウムなどが、そのよい他である。

つまり、多かれ少なかれ害性のある食品添加物の許可は慎重のうえにも慎重をつくし、さらに、それを実際に使用する食品製造業者の立場にたつて審議しなければならないのである。しかし、実際は食品添加物業者の立場から検討しているといつたふうにしか思われていないということは、国民の健康を守る厚生省としては、たいへん遺憾なことといわねばなるまい。

それはそれとして、豆腐の殺菌剤「AF―2」とは、商品名のような、学名の略称のような呼び名であつて正式には<2―(2―フリル)―3―(5―ニトロ―2―フリル)アクリル酸アミド>という舌をかみそうな長い名前である。なんども前記したように、ネズミは1.11グラムで、ハツカネズミは0.47グラム(その体重一キログラムにつき)で、その半数が死亡するという毒性を有している。五〇キログラムの体重の成人なら23.5グラムで、一〇キログラムの子供なら4.7グラムで、半数が死亡するわけである。

このように毒性の強いクスリを、食品添加物として、豆腐のほか、あん、ソーセージ、カマボコなどに許可している、厚生省の神経がわからないわけだが、それにも増して、この「AF―2」を特許をもつて独占的に製造販売している上野製薬の社長が、「多年、生鮮食料品の保存の研究に従事し、国民の食生活の向上に寄与した」という理由で、昭和三三年一二月に紫綬褒章を受けているのであるから、まつたく笑い話にもならない。有害な添加物をつくつて、ごほうびをもらえるのは、世界広しといえども、おそらく日本だけであろう。

豆腐の付録のような食物に油揚がある。いなり揚、うす揚ともいい、豆腐を薄く切つて、大豆油、ゴマ油などで揚げたもので、消化のよいタン白質と脂肪とを含んでいるから、豆腐と同じく、たいへん栄養のある食物である。

ところが、こんなにかんたんに製造できる油揚に、こんどは業者が悪い操作をほどこすことがある。

それは、油揚がふくらんだり、あるいは豆腐のキメを細かくする目的で、白雲石の粉末のようなものや、炭酸マグネシウムを、油揚と豆腐に使うのである。また油揚の油が抱だつのを防ぐために、酸化マゲネシウムや水酸化カルシウムつ使うことがある。これらのクスリは、いずれも前記の「AF―2」のような毒性はないにしても、有害であることにかわはない。

その証拠として、厚生省公衆衛生局長が発した公文書には、重要なことが記載されてある。それは「食品にはなるべく不必要な鉱物性物質を使用することは望ましくないので、かかる物質を使用せしめないように指導されたい」という文章である。この中の「なるべく」という言葉を、「絶対に」という表現にかえるべきであると思うが、それにしても、この公衆衛生局長の回答は正論とみてよいと思う。

それにしても不可解なのは、一局長がこうした正論を公文書に記録しているにもかかわらず、多くの日常食品に鉱物性物質の食品添加物が、大手を振つて許可されているという事実である。厚生省の役人全部が、上は大臣から、下は窓口の事務官までみなこの局長と同じ考えをもつているならば、現在、食品界を闊歩している食品添加物は、毒性の強い順に追放しているはずであるが―。

とにかく、自然食の花園だけは荒してもらいたくないものである。そして、せめて、安くておいしくて栄養のある豆腐くらいは、毒を入れないようにしてもらいたいものである。

ロ 二四五頁ないし二四七頁(公訴事実には、二四七頁の一行目の一部が引用されているのみであるためか、同頁のみしか摘示されていないが、同頁の記載はそれだけでは意味をなさず、「第一〇章消費者不在の食品行政」の末尾の「各界の圧力」と題する部分全体との関連ではじめて意味を持つので、便宜上ここに、その全体を摘示する。なお、傍点は前同様。)

日本の食品添加物は、ほとんど一流の製薬会社や化学工業会社が製造している。しかも、製薬会社ともつとも密接な関係にある厚生省が監督しているのであるから、不快な噂が、いつもどこかであがつている。製薬会社の重要なポストに、厚生省の退職官吏がおさまつていたり、厚生省のことを、××薬品霞ケ関出張所などと陰口をたたかれているのも、火のない所に煙は立たぬ理屈である。

しかし、これらの噂を一つ一つ立証していくのは、本書の目的とするところではないから、二、三の例をあげるに止めておこう。

ニトロフラン誘導体という豆腐用の殺菌料がある。上野製薬が、「Zフラン」という商品名で独占製造していたが、数年前、特許が切れることになつた、原価から計算すると、非常に利益のある薬品であつたから、特許切れとともに、自由競争で価格は安くなるだろうと、消費者は期待していた。

ところが、驚いたことに上野製薬は、今まで害性が少ないと宣伝して、豆腐業者や魚肉ねり製品業者に販売していたのに、こん度は、「Zフランは有害であるから禁止しただきたい」と禁止を申請したのである。おそらく、製造業者から自分の商品の禁止を申し出たのは、開闢以来、上野製薬がはじめてであろう。商魂たくましいはずの業者にしては、国民の健康に深い愛情があつて、まことに奇特なことだと、賞讃を惜しまなかつたのであるが、この話にはまとこに不愉快な落ちがついていた。

「Zフラン」の禁止申請の代りに、化学式を変えた同じようなニトロフラン誘導体を、こん度は「AF―2」という商品名で、この方が「Zフラン」より害性が少ないから、と新規に申請したのである、そして禁止も申請も、共に受理されたものだから、関係者は空いた口がふさがなかつた。なんのことはない、日本の厚生省は、一営利会社の利益のままに、国民の生命に関係のある殺菌料を禁止したり許可したりしたのである。国民の健康を思う愛情の一かけらでもあれば、このような馬鹿げたことはできないはずである。なお、ニトロフラン誘導体は、世界中で日本だけが許可されている、たいへん有害な食品添加物である。

もう一つ、……(以下ズルチンについての記載省略。)

B 起訴の対象となつていない記載部分

イ  一〇頁(序章「氾濫する危険食品」の中の「クスリを食物に」と題する部分の一部。)

カマボコが好きな人は、毎日、発癌性のタール系色素や、防腐剤のソルビン酸、殺菌料のニトロフラン誘導体、品質改良剤の臭素酸カリウム、重合燐酸塩なども食べなければならないことになる。

ロ  六〇頁(第三章「子供のおやつ」中の「菓子と食品添加物」と題する部分の一部。)

菓子に添加される食品添加物のうち、もつとも有害で子供の健康のために、即刻禁止してもらいたいものが四種入つている。

(1)  あんに使われる殺菌料のニトロフラン誘導体(商品名AF―2)

(2)(3)(4)省略

ニトロフラン誘導体(エイエフツウ)は、上野製薬が特許をもち独占製造している。日本だけがなぜ許可しているのか、不可解な殺菌料である。急性毒性としては、ネズミに食べさせると、その体重一キログラムについて、わずか1.11グラムで死亡する。ハツカネズミでは0.47グラムである。こんな危険なクスリの入つたあんを、ムシャムシャ子供に食べられてはたまつたものではない。

ハ  一〇八頁ないし一一〇頁(第五章「おかずさまざま」中の「細菌培養器の「カマボコ」」と題する部分の一部。)

(一〇八頁および一〇九頁には、魚肉のほかに、カマボコに添加されているクスリ類を一四種類列挙し、うち一〇種類について、ネズミにあたえた場合、その半分が死亡する量を体重一キログラムについて何グラムであるかを示しているが、ニトロフラン誘導体については、殺菌料として一キログラムについて、0.0025グラムまで許可されており、ネズミの半分の致死量は1.11グラム、ハツカネズミなら0.47グラムである旨の記載があり、引き続いて一一〇頁に次のような記載がある。)

カマボコには、このように多くの食品添加物が加えられている。カツコ内の毒性を合計して考えてみていただきたい。たとえば上野製薬が製造発売しているニトロフラン誘導体(商品名AF―2)などは半数致死量がわずかに0.47グラムである。体重一〇キログラムの子供ならば4.7グラムで死亡するわけである。たとえば添加量が少ないとはいえ、正月などは毎日のように食べる食物である。そして他の添加物の毒性と掛け算をしていくと、恐ろしい数字がでてくるのである。

しかも、これは政府によつて許可されている食品添加物である。しかし、それでも足りずに、カマボコ業者は、許可されていない工業薬品を、これでもかこれでもかと混入して腐敗を防ごうとする。なかには許可されていないデヒドロ酢酸ソーダを、ソルビン酸の容器に入れて販売していた問屋もあつた。こうして細菌培養器のようなカマボコを、できるだけ長く保存しようとして、人間の生命を無視した悪らつきわまる知慧を働かすのである。

ニ  一二四頁(第五章中の「燻煙と発癌性」と題する部分の冒頭に、ハム、ソーセージにもニトロフラン誘導体などが添加されている旨の記載がある。)

ホ  一九六頁(第七章「自然食を荒すもの」の中の「漬け物は毒の掛け算」と題する部分の一部。)

たとえば、「AF―2というニトロフラン誘導体の殺菌料とどこでも使つている中性洗剤のABS(アルキルベンゼンスルフォン酸ソーダ)とが一しよに使われると、両方の毒性に相乗効果が働いて、その毒性は倍になるという。これは東京医科歯科大学で実験した実例である。

ヘ  二一九頁(第八章「輸入食品不信任時代」の中の「冷凍輸送は細菌輸送」と題する部分の中に、冷凍輸送の方法として、それまでは大量の氷を使用し、その氷の中にニトロフラン誘導体などを添加することが認められていた旨の記載がある。)

ト  二五七頁以下の「付・食品に入つている法定添加物一覧表」中に他の食品添加物とともに対象食品名、用途、使用基準、半数致死量、代表メーカーの記載がある。

(二) 「改訂版恐るべき加工食品」(符二)

A  起訴の対象となつている記載部分

四三頁ないし四五頁(傍点は前同様。)

豆腐に防腐剤

たとえば、いままでの豆腐工場は、たいてい街路に面していて、表の作業場から裏の座敷まで一目で見通すことができる。したがつて、有害な処置をほどこすこともなく、毎日健康な自然食を私たちに提供している。しいて難クセをつければ、ニガリの硫酸カルシウムの中に不純物が含まれていないかという疑問ぐらいである。

ところが最近、一日に何万丁も製造する大型豆腐工場があちこちに出現して豆腐の配達範囲も非常にひろがつてきた。距離が遠くなれば、当然のように時間がかかるから、防腐剤を入れて、腐敗を防止しなければならない。

その防腐剤がトーフロン(ニトロフラン誘導体)というたいへん毒性の強い、しかも日本だけしか許可されていない有害薬品であるから、困つたものである。いままでの製造形態ならび、その日に売れる分くらいしか作らないから、防腐剤など、まつたく必要としなかつたのである。

われわれはもつと真剣に有害食品を見直さなければならないと思う。

とんだ自然食

最近はデパートの食品売場に「自然食コーナー」が設けられいることが多い。

東京・日本橋のあるデパーの地下食品売場の「自然食コーナー」に立ち寄つたときの話をしましよう。

みそ、しょうゆ、パンなどがいずれも自然、健康食と銘打つたレッテルのもとに花々しく並べられていた。それぞれ好調な売れ行きである。

ふと、私は一つの食品に目をとめて、ガク然とした。それは筒状の袋に入つた“トウフ”だつた。これはまるつきり、自然食とは無縁のものである。というのはトーフロン(ニトロフラン誘導体)という防腐剤が入つているシロモノだつたのであるから……

そこで私は、少々差し出がましいとは思つたが、その旨を食料品部の主任に申し入れたのである。

ところがやんぬるかな、係のものは自然食についてはほとんど“無知”といつてもいいくらいの知識しか持ち合わせていなかつた。そこでたいそう驚いたらしく、さつそくメーカーへ問合わせをしたようだつた。

二、三日後、そのデパートから電話がかかつてきた。そしていうには―

「工場ではトーフロンなど使つていない。ましてや塩素ガスで殺菌もしていないという返事でしたが……」

人をバカにしてはいけない。私は数ケ月前、その工場を訪ねたとき「トーフロンを使つていますか」との質問したところ「使つているが、どうも効果が弱くて困つている。禁止になつたZフランのほうが良かつたんだが」と答えているのである。

同様、原料大豆について質問したときも「塩素ガスで殺菌している」とハッキリ答えているのである。

いやはや腹が立つ前に、あきれて二の句がつけぬ、とはこういうことをいうのであろう。

読者もトウフ工場へ問い合わせてごらんになればわかるであろう。きつとデパートの食品部に答えたのと同じ答えしか返つてこないはず。それではと工場と勇んで出かけて行つたとしよう。きつとケンもほろろに、あるいはインギン無礼に門のところで追いかえされるにちがいない。工場をみられることは、ウソを天下に発表することに他ならないからである。

B  起訴の対象とはなつていない部分

イ 一三三頁ないし一三四頁(一三〇頁からの「密造添加物」と題する部分の一部。)

たとえ、上野製薬が特許をもつて製造発売した殺菌料に「Zフラン」という商品があつた。これは学名をニトロフリルアクリル酸アミドといつて、食肉製品、あん類などのほかに豆腐の唯一の殺菌料として利用されていたが、上野製薬の都合によつて「Zフラン」の使用禁止が受理され、かわりに、やはり同社の申請による「2―(2―フリル)―3―(5―ニトロ―2―フリル)アクリル酸アミド」という舌をかみそうな学名の殺菌料が「AF―2」という商品名で許可された。全国の豆腐屋が法律の定めるとおり、新しい、「AF―2」に切りかえたことはいうまでもない。

ところが、その結果が、上野製薬の思惑とは反対に裏目に出て、豆腐業界では禁止になつた「Zフラン」のほうが「AF―2」よりも殺菌効果があるという評判がたつてしまつたのである。

ここに密造業者のつけいるすきがあつた。「Zフラン」がたちまち密造され、闇のルートを通つて豆腐屋に運ばれるようになり、上野製薬が厚生省と東京都庁へその徹底取り締まりを陳情に行つても、なぜか、役所の態度は冷たかつたようである。自社の都合によつて禁止や許可を申請した態度に、あるいは役人らしい反感を抱いたのかもしれない。

「Zフラン」がたちまち密造業者の手に取り上げられたのは、前記のデヒドロと同じように、その原料が容易に入手できるという点にある。すなわち「Zフラン」の原料の「ニトロフリルアクリル酸アミド」はニトロフラゾーンと同じく、フルフラールを原料としてフリルアクリル酸をへて製造するもので、そのメーカーは上野製薬だけではなく、用途も食品以外にも多方面にわたつているから、入手も加工も、何の疑惑をもたれることなく行なわれるのである。

ロ 二四二頁ないし二四三頁

(二四二頁からの「製造会社の利益擁護」と題する部分の一部。)

その鉱物から造つた食品食品物が、日本では三百五十八種も許可され、しかも外国では禁止日本でだけ許可、というシロモノもあるのである。まことに不可思議な事実である。世界各国が禁止しているということは、もちろん毒性が強いからに他ならない。

このように、日本だけにしか許可されていない食品添加物は、ニトロフラン誘導体(上野製薬)、……(以下八種類の食品添加物名が会社名入りで列挙されているが、省略。)……などがあり、いずれもその毒性の強さは、聞いただけで鳥ハダが立つようなクスリばかりである。

4被告人が「AF―2」についての記載をした経緯

(一) 被告人の経歴

被告人は、昭和一一年早稲田大学専門部商科を卒業し、翌一二年日刑工業新聞社に就職し、その後同社が日本経済新聞社に統合されたため同社に移り、昭和二〇年春同社広告次長(部長待遇)に昇進し、同年六月退社した。その後化粧品の仕入れ、サッカリンの販売などの事業をしたが、昭和三〇年ころから同三九年ころまで、食品添加物研究会という名称で「食品添加物新聞」や「月刊雑誌食品添加物」を発行・販売し、その後は国立衛生試験所発行の食品衛生学雑誌等の広告取りなどの仕事をして生計を立て、昭和四〇年ころ芳信社から「恐るべき加工食品をみずから執筆し出版したのをはじめとして、以後、本件各著書を含む数冊の食品および食品添加物に関する著書を出版し、本件当時食品関係の評論家として著名であり、各地での講演を依頼されるなどして活躍してきたものである(被告人の当公判廷における供述および検察官に対する昭和四六年六月二三日供述調書、以下、これらを、それぞれ「被告人供述」「被告人調書Ⅰ」と略記する。)。

(二) 本件各著書執筆の動機ないし背景知識

被告人は、右にみたように、みずから食品添加物の販売をしたり、国立衛生試験所に出入りしたりして、食品業界や食品衛生行政の実態を垣間見るうち、厚生省は食品添加物メーカーや食品業界と密着しており、また、食品業者の中には自己の利潤追求のために、国民の健康を顧みず、いろいろな薬品などを食品に添加するなど悪質なものが多いことなどを痛感するとともに、食品添加物一般について強い疑問をいだき原則的には用いるべきではないとの考えをもつようになり、食品添加物等についての知識に乏しいと思われる一般の国民に対し、自己の知見を知らせ、各種の食品および食品添加物の危険性について、国民一般の注意を喚起し、啓蒙を促す必要があると考え、そのような意図のもとに、本件各著者の執筆、出版をはじめとする評論家活動を展開していたものである。そして、その背景となつた知識は、前記の自己の仕事を通じての体験や見聞のほか、みずから工場等に出向いて調査したり、顔見知りの学者等に聞いたり、食品添加物関係の専門書や新聞・雑誌の記事を収集し検討したりして体得したものであるが、元来、いわゆる文科系の出身者であるところから、食品添加物等に関する自然科学的方面の知識は、ほとんど書物を通しての独学によるものであつて、食品添加物その他について、その性質、毒性、化学構造等を自分で実験したりして研究したことがないのはもちろん、少なくとも本件各著書執筆当時までは、さほどその底が深かつたとはいえないようであり、本件各著書中には、食中毒や、かきの中毒の原因に関する記載部分などにみられるように、当時の科学的知識の水準からみれば誤りとか俗説とされる部分が数か所あることが指摘されている(以上、被告人供述、被告人調書Ⅰ、被告人の検察官に対する昭和四六年六月二四日付供述調書((以下、「被告人調書Ⅱ」と略記する。))、証人川端俊治の当公判廷における供述、当裁判所の証人川崎近太郎に対する尋問調書および本件各著書による。)。

(三) 被告人が「AF―2」を有害であると記載した根拠

(1) 前記3において繁をいとわずに引用した本件各著書中の「AF―2」についての記載部分中に明示的に示されている「AF―2」が有害であるとした根拠を要約すると、次のとおりである。

イ  食品は自然食が最も望ましいが、従来豆腐には「トフロン」などは使われておらず、したがつてなくてもすむものであり、これは豆腐を大量生産する大手メーカーや上野製薬を利するために許可されたものであること。

ロ  厚生省は、食品添加物メーカーである一流製薬会社とゆ着しており、国民の健康よりも製薬会社の利益を擁護する傾向があること。

ハ  「AF―2」がZフランにかわつて許可された経過には不明朗なものが感じられ、厚生省が上野製薬の都合に全く従つたと思われること。

ニ  「AF―2」の半数致死量は、きわめて微量であつて、他の食品添加物と比べても毒性が強いこと。

ホ  「AF―2」を許可しているのは、世界中で日本だけであること。

ヘ  「AF―2」は、豆腐のほか、食肉ハム・ソーーセージ、魚肉ねり製品、あん類など多くの食品に用いられていること。

ト  たとえばかまぼこなどには、「AF―2」のほか多くの添加物が加えられており、これらとの相乗効果も考えねばならないところ、「AF―2」は中性洗剤ABSと共に用いるとその毒性が倍になるとの実験例もあること。

なお、以上イ、ロは被告人が前述のような過程で持つようになつた持論であるし、ハは、これに加えて業界での風聞に基づく推測の結果であり、ニないしトは食品添加物についての専門書や新聞・雑誌の記事によつて得た知識であり、特にトのうちABSとの相乗毒性の点については、日本公衆衛生学会誌四一年七月号二二九頁および二三〇頁(符一七、弁四)の記載に負うものと認められる。

(2) 以上のほか、被告人供述および被告人調書Ⅰ・Ⅱによると、被告人が、「AF―2」を有害だと断定した主要な根拠として、次のような点があつたと認められる。

イ  被告人は、「AF―2」の食品添加物としての許可、指定に際して、どのような審査過程を経たか、また、どのような資料が提出されたかは、これらが公開されていなかつたことでもあり、知らなかつたが、従来の食品添加物の慢性毒性試験は、ラットやマウスを用いてのわずか六か月間くらいの観察試験のみであつて、WHO勧告とはほど遠い不十分なものであり、また、その毒性試験も添加物メーカーである企業から依頼され、その費用も企業が負担するということで、行なわれているのであるから、たとえ、それが、大学の教授等の専門家によつて行なわれたものであつても、公正な第三者による試験とはいえず、その試験内容、結果については、その利害関係を考えると、信用性に疑問があり、本来、毒性試験は国の機関みずからが行なうべきであるのみならず、その試験内容も、種属差を考慮するならば、人間に近い哺乳動物である犬や猿を用いての少なくとも四、五年間にわたるといつたものでなければならないとの持論を持つていたこと。

ロ  一般にニトロ基をもつ化合物は、危険性の高いものが多いところから、「AF―2」についても危険なものであると考えていたこと。

ハ  食品衛生学雑誌昭和三八年三巻四号および四〇年五巻二号に掲載の相磯和嘉教授らによる「ニトロフラン誘導体の毒性に関する系統的研究」(第1、2報)(高橋鑑定書添付資料5)を検討した結果、「AF―2」について、発がん物質であるおそれがあるなどの疑問を持つていたこと。

ニ  「日本薬局方註解」(符一五、弁二)によると、「AF―2と同系のニトロフラゾーンについて、その医薬としての副作用に、過敏症・アレルギー皮膚反応を起こすことがあると書かれており、また、「第二版食品添加物公定書註解」(符一六、弁三)の七七一頁に、「AF―2」を水や湯に溶かすとき直接皮膚に触れるような方法で混ぜると、人によつては皮膚があれる場合があるので、ゴム手袋を用いるなどして注意しなければならないとあり、食品と一緒に食べた場合、胃腸の粘膜にも影響があるのではないかと疑つていたこと。

ホ  「AF―2」については一応使用基準が定められているが、医師や薬剤師のように専門知識を有するものが取り扱うのではなく、零細な豆腐屋などを含む、薬品についてはしろうとである食品製造業者が取り扱うのであつて、その使用も目分量などのずさんな方法によることもあると考えられ、規定量を超過して添加されることがないとの保障は乏しいと思われるところ、菰田太郎ほか三名著「食品添加物とその使い方」(符一九、弁六)の一一九頁に、Zフランについてであるが、豆腐の製造にあたつて、豆汁のみならず、原料の大豆やできあがつた豆腐をつける水にも加える例があげられ、規定量の超過が警告されているし、川城巌ほか二名編「食品添加物」(符一四、弁一)の五七頁に不均一混合のおそれが指摘されているのであつて、被告人自身豆腐屋などを訪ねて、これらの事実のあることを確かめていること。

ヘ  「AF―2」の添加量についての事後の検査は、我国においては、その任にあたる食品衛生看視員が、食品製造業者等の数からみて、著しく少ないことなどの事情から、満足には行なわれえないと思われるうえ、前記川城ほか二名「食品添加物」の同頁に「AF―2」は加熱処理の際に、そのかなりの部分が短時間に食品中のたん白質と結合して分解し、失活する旨の記載があり、また、藤井清井清次ほか一名著「食品衛生の化学」(符一八、弁五)、の一五七頁に、「AF―2」は特定の食品中での失活などの欠点を有する旨の記載があることから、その加工食品からの事後の検出は困難で、使用量を正確に分析することは不可能であり、その監視は一層行なわれがたいと考えていたこと。

なお、イ、ロについては問題はないが、ハ〜ヘについては、被告人調書、Ⅰ、Ⅱ中にはその記載がなく、被告人供述は本件各著書執筆から四、五年後になされたものであり、その間も、被告人は「AF―2」についての勉強をしていたと認められるので、はたして、執筆当時これらのことがすべて被告人の念頭にあつたか否かにつき疑問をさしはさむ余地がないとはいえないが、特にこれを否定的に解するのを相当とするような証拠も見あたらないので、一応右のとおり認定した。

5総合的考察

(一)  さて、以上の事実認定を前提として、以下、被告人の本件各著書の出版・販売が、刑法二三三条にいう「虚偽ノ風説ヲ流布シ人ノ業務ヲ妨害シタル」ことになるか否かを検討することとする。

まず、右「虚偽の風説」については、「風説」の意味について争いはあるが、学説上、一般に、実際の事実と異なつた事項を内容とするうわさのことをいうと解されているところ、右にいう実際の事実とは客観的真実とも言われ、その意味内容を理解するについては、偽証罪におけるいわゆる主観説と客観説の対立を想起し、その客観説を参照するとよいと思われるが、「虚偽の風説」か否かは、被告人の行為当時の認識内容、その根拠資料の有無・内容、その当時存在していた当該事項についての資料あるいは世間の一般的認識などとは関係なく、一切の証拠資料すなわち被告人が行為当時知らなかつたものあるいはそもそも知りえなかつたと思われるものや行為以後現われたものを含めて、それが実際の事実と異なつているか否かについて決せられるものと解されていたようである。そして、このような解釈の背景には、業務妨害罪にいう「虚偽の風説」か否かで問題となる事実の真否の証明も、一般の犯罪事実の証明とその構造を同じくするとの暗黙の前提があるように思われるが、たとえば、「あの食堂は客の食べ残しを、次に出している。」などといつたような具体的事実の存否が問題となる事例についてであるならば、まさにそのとおりであり、また、これまでのところ、そのような事例が大部分であつたと思われる。

しかしながら、近時、食品・薬品公害ということが叫ばれ、また、いわゆる欠陥車等の欠陥商品などの問題もクローズアップされてきたが、これらに関し、ある食品が有害であるとか、ある商品が欠陥であるとかいうようなことが消費者運動や学者、評論家によつて主張されたり、あるいは、競争関係にある企業の間で重大な利害関係を生じている例がみられるところ、食品等の有害性や欠陥の有無ついては、その研究が長期間継続され、次々に積極・消極両様のさまざまな発表がなされることが多く、その研究もいつとどまるとも知れないものがあり、研究者の立場によつて結論を異にすることが多い。このような場合、最終的確定的な結果を早期に期待することはほとんど不可能であり、先にみた単純な事実の存否と異なり、一刀両断的解決は望み薄であつて、その結果が確定するまでどのように裁判が遅延しようともこれを待つべきであるとする見解は、憲法三七条一項の保障する迅速な裁判の要請に照らし、到底採ることができない。したがつて、このような事項をめぐる業務妨害罪の成否が問題とされる場合に、「虚偽の風説」について、先にみたような従前の理解のままでよいかは、大いに疑問とされねばならない。

本件で、検察官は、その公訴事実における本件各著書からの引用部分の記載のしかたからも明らかであるように、被告人が「AF―2」ないし「トフロン」を有害であるとしている点を核心的にとらえて虚偽の風説だとし、前記3(一)Aおよび(二)Aに引用の本件各著書記載部分中に若干含まれている個々の具体的事実の真否を問題にしているのでないのであるから、本件においてはまさに、「AF―2」の有害性の有無という単純には決しがたい点が問題となつているのである。しかも、前記2においてみたとおり、現在までのところ、「AF―2」が食品添加物として有害であるとも無害であるとも決着はついておらず、なお、各方面で研究が続行中であることが認められるから、本件はまさに先の問題を検討するにふさわしい事案であるといえよう。

まず、本件の場合、「虚偽の風説」についての従前の理解に従うならば、「AF―2」が完全に無害であるという証明は尽くされていないのであつて、将来の研究いかんによつては、発がん性等が問題となる余地も予想されないわけではなく、仮にそうになつたとすれば、枝葉末節の点はさておき、「AF―2」は有害であるとの被告人の記述自体は虚偽でないこととなり、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則上、「虚偽の風説」であると認めることはできず、無罪としなければならないことになろう。しかし、そうであるとするならば、本件の場合はさておき、仮に、競争関係にある企業の関係者が、自己の利益を考え、その当時としては根拠のないことを知りつつ他社の商品を誹謗するといつた事例においても、後にいわゆる科学論争に持ち込みさえすれば処罰を免れる余地があるということになるが、このような場合、後日になつてその誹謗が結果的に、正当であつたことが証明されえたとしても、その誹謗者は処罰されるとするほうが、世人の正義感情にかなうところであろう。

そこで、それでは「虚偽の風説」をいかに解すべきかの検討に移ると、まず、「虚偽の風説」か否かの判断資料から、被告人が、当該行為をなした以後の研究結果を排除しなければならないことは、以上の考察から自明のところであるし、また、右行為以前のものについても、被告人が知りえなかつたかあるいは知らなかつたのも無理はないと認められものは、たとえば、外国での研究結果、企業秘密のことを考えると、やはりこれを除外すべきであろう。そうだとすると、当該事項に関し、被告人が収集していた情報・資料および自己の研究ならびに収集すべきであつたと認められる情報・資料等を判断資料として「虚偽の風説」か否かを決することになるが、それは結局、被告人が、当該事項を述べたについて、相当な資料・根拠を有していたか否かを、情報収集義務をも考慮に入れつつ判断するということになり、名誉毀損罪において、刑法二三〇条の二・一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると信じたことについて確実な資料・根拠に照らし相当の理由があるときは犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解されている(最高裁判所第二小法廷判決昭和四六年一〇月二二日刑集二五巻七号八三八頁参照。)のと、同様の判断過程をとることとなろう。

ただ、名誉毀損罪については、被告人側で事実の真実性の立証ができなかつた場合に、犯罪の故意につき右の点が問題となるのに対し、業務妨害罪については、客観的な意味での事実の真実性の有無を度外視して、右の点を故意の問題に先立ち、客観的に「虚偽の風説」といえるか否かということで、問題とすることになるが、これは両罪の構成要件の相違からくる当然の帰結というべきであろう。また、「虚偽の風説」を右のように解することは「虚偽」という言葉の常識的解釈と離れすぎるのではないかとの反論も考えられなくはないが、この点偽証罪における「虚偽」についていわゆる主観説が判例・通説であることをも考え合わせると、さほど問題ではないと思われるのみならず、「虚偽の風説」にある「風説を重視するならば、かえつて文理にかなうといえるのではないか。そして、「虚偽の風説」をこのように解するならば、前記のような悪質事犯を処罰の対象とすることが可能であるとともに、後述のこの点の故意についての解釈をも考慮すると不当に処罰の範囲を拡張することにもならず、妥当な帰結を導きうると思われる。

すなわち、以上の理由により、当裁判所は、刑法二三三条にいう「虚偽の風説」とは、行為者が確実な資料・根拠を有しないで述べた事実であると解し、故意の点は別論として、その資料・根拠の確実性は、被告人の主観によつて決するのではなく、社会通念に照らし客観的に判定されるべきであるとするのが相当であると考える。

(二)  そこで、右のような解釈のもとに、被告人の本件各著書の「AF―2」に関する記載(起訴部分のみ)が、客観的に「虚偽の風説」にあたるか否かについてみると、被告人の右記載はきわめて断定的であるのみならず、全体的にみて、ことさらに誇張的表現を用いており、読者にとつて相当ショッキングな記述となつている。

そこで、その根拠をみると、前記4(三)(1)イ、ロ、および(2)イについては、被告人の持論であり、いずれもそのような見解がありうると認められるが、別の立場、見方もありうるのであり、それ自体として「AF―2」について右のような表現をとることを相当とすべきほどの根拠ではなく、4(三)(1)ハについては、前記2三(2)中にふれたとおり確かに不分明な点はあるが。それだけで、「AF―2」を有害とする根拠とはならないし、同二が著書の記載からみると最も重要な根拠のようであるが、急性毒性自体は、使用規準量の範囲内では問題にならいと認められるし、同ホ、ヘ、トについても「AF―2」が有害であるとまで断定するに足りる根拠となりえないし、前記4(三)(2)ロについては、食品衛生調査での審議においても一部の委員からそのような発言があつたことから一応理解できなくはないが、ただちに「AF―2」も危険だと断定する根拠としては貧弱であると思われるし、同ハないしヘについても、このような誇張表現をとるほどの根拠とはいいがたいのみならず、なぜこれらの点を根拠として著書中に記載しなかつたのか理解に苦しむところである。

以上、客観的にみるかぎり、本件各著書の「AF―2」についての記載(起訴部分のみ)は、確実な資料・根拠に基づくものとは認めがたいから、前記の理由で「虚偽の風説」にあたるといわざるをえない。

(三)  ところで、いうまでもないことであるが、刑法二三三条の業務妨害罪は故意犯である。したがつて、被告人について、本罪の刑事責任を問うには、右(二)にみたように、その言説が、客観的にみて「虚偽の風説」であるということのみで足りるのではなく、さらに、被告人に本件当時、自己の主説が「虚偽の風説」であるとの認識があつたことが証明されなければならない。そして、前記(一)のように、「虚偽の風説」を確実な根拠・資料に基づかない事実とした解釈に従うかぎり、故意の内容は、これに照応して、自己の言説が確実な根拠・資料に基づかないことの認識であると解するのが相当である。このように、解するならば、たとえ、自己の言説自体は、客観的に真理であると確信していても、それが自己のいわゆる第六感とか宗教的信念などによるもので、それらのほかには世人に呈示してその納得をうることのできるような合理的資料・根拠が全く欠如していることを認識しつつ、あえて他人の業務を妨害するような挙に出た者は、故意を欠くとはいえないことになるから、不当に処罰の範囲をせばめることにはならないであろう。と同時に、自己の言説が客観的に真理であると確信しているのみならず、前記(一)のように、客観的に厳密にみると、確実な根拠・資料であるとまで評価することはできないとして一応もつともだと思われるような根拠・資料を有しており、その内容等を検討すると、行為当時確実な資料・根拠に基づくとの判断のもとにその言説を公表したと認めることができるような場合には、故意を欠くことになるから、不当に処罰の範囲をひろげることにもならないと思われる。

更に、後者の点について付言するならば、仮に、客観的に「虚偽の風説」といえる言説をなした場合、その根拠・資料についての個々の具体的事実に錯誤がないかぎり、たとえ行為者が確実な根拠・資料に基づくものと誤信していたとしても、それは違法性の錯誤の問題にすぎず、原則として故意を欠くとすることはできないと解釈するならば、結果的には、業務妨害罪について名誉毀損罪における刑法二三〇条の二ような規定(前記最高裁判所判例の解釈をも含む。)を置いたのと同様の帰結を招来することになろう。そうすると、刑法が名誉毀損については、原則的には、摘示事実の真否を問わず名誉を保護しようとしているのにし、業務妨害については業務を、その妨害となる行為一切からでなく、ただ、「虚偽の風説」、「偽計」および「威力」という不法性の強い手段による妨害のみから保護しようとしていること、換言すれば、業務は、名誉よりも刑法的保護の程度が著しく低いのに、業務を、刑法二三〇条の二の適用が問題となる名誉と、事実の真実性の面で同等の保護を与えるという不合理を犯すこととなる。また、行為者が、「虚偽の風説」すなわち確実な根拠・資料に基づかない事実を流布して人の業務を妨害しても違法でないと信じていた場合、これはまさに違法性の問題であるが、根拠の確実性についての錯誤をこれと同レベルの問題として扱うのは、明らかに不当だと思われる。

次に、それでは、自己の言説が確実な根拠・資料に基づかないことの認識(以下これを「根拠欠如認識」という。)の有無をどのような観点および基準で判定すべきかという点を検討してみよう。ここで、まず、忘れてならないのは、行為者に対し、故意責任という強い形での帰責可能性が問題となつていることであり、前記(一)のように、根拠の確実性自体についてあくまで客観的に判定されねばならないが、行為者がどの程度の根拠・資料をもつて一応、確実なものであると考えるかは、各人の経験、知識、性格等によつてまちまちであろうと思われるところ、結局責任の問題であるから、各行為者ごとにこれらの点を参酌しつつ、その者が一応確実な根拠に基づくものと信じていたと認定できるか否かが問題とされねばならないことになる。そして、客観的には、確実な根拠があるとはいえないのに、軽卒にも確実な根拠があると信じた結果、根拠欠如認識を持たない者もかなり多いのではないかと思われ、また「虚偽の風説」流布による業務妨害を処罰しなければならないのは、このように軽卒に物事を信用する人間が多いからであると思われるが、これらの者については、過失の責任はともかくとして故意の責任まで負わせるのは相当でないであろうう。したがつて、行為者が自己の言説を客観的に真実であると強く信じ、それについて何らかの根拠・資料が存するときには、その根拠等がよほど不充分であり、あるいは非常識なものであつて、それだけで行為者が確実な根拠に基づいているとの認識を持つなどとは明らかに考えられない場合以外は、故意責任を問うための根拠欠如認識があつたと認定することは困難であると思われる。

(四)  被告人供述、被告人調書Ⅰ、Ⅱにおいて一貫して、「AF―2」が有害であると信じていたと述べており、その根拠とするところを要約すると、前記4(三)のとおりである。これに対し、検察官は、①被告人が「AF―2」が有害であると認識した根拠として挙げる川城巌ほか二名編「食品添加物」等七点の資料(符一四ないし二〇、弁一ないし七)にはいずれも「AF―2」が有害である旨あるいはこれを推認するに足りる記載は見あたらず、逆にこれらの中には食品添加物として無害であると明記しているものもあり、被告人はこれらの部分も読んでいたこと、②被告人は、本件各著書出版にあたり、「AF―2」が厚生大臣から、食品添加物として指定を受けている事実を故意に欠落させていること、被告人調書Ⅱ中に故意を一部認める供述が記載されていること、を指摘して、被告人は本件当時、「AF―2」が無害であることを知つていたものであると主張している。

「AF―2」が客観的事実として無害といえるか否かは、前記2(三)のとおりであるが、まず、右②の主張は、前記3の本件各著書中の「AF―2」についての記載部分中、厚生省から許可されていることに再三触れられていることから、明らかに失当であり、被告人はその許可自体についても批判しているにすぎないものである。次に③の主張についてみるとなるほど被告人調書Ⅱ中に「文芸評論家が小説を書くことが出来ず、演劇評論家がシナリオを書けないようにおよそ評論家の目から見れば誤りがあるものです。私の場合もいわゆる理科の教育等は受けておらず、文科系の道を歩いてきた男ですから、化学的な専門的知識は持ち合わせておらず、本件各著書を書く際、多くの文献を参考にしたり、それに対する専門家の意見を充分に聞いたりするなどというような充分な取材はしておりませんので、AF―2の場合でも、私の文章が専門家の目から見れば事実に反する記載になるかも知れないことは判つていましたが、私の素朴な考えとこれらの本を出すに至つた目的からやむをえないと思つたのです。」旨の記載がある。しかし、これは、起訴前の検察官の取調に際しての供述であつて、起訴を免れようとの気持から若干弁解的ニュアンスが出ていると思われるが、それはともかくとして、この記載自体文芸評論家等の例などからみて、自己の評論家活動一般について誤謬がありうるという漫然たる不安感、危惧感を持つていたというにすぎないものだと解する余地もあり、そうであるとすれば、程度の差こそあれ、一般の学者・評論家であつても自己に謙虚であるかぎりそのような感じを抱いてるのが通常だと思われ、このようなものが過失責任の根拠となるかどうかは別論であるが、未必の故意を自認したものとは到底なしえないことになり、この点についての検察官の主張も失当である。

結局問題は①であり、そこに挙げられた専門書等の記載内容については、ほぼ検察官主張のとおりであると認められる。しかし、前記4(二)のとおり、被告人は本件当時、自然科学的方面の素養に乏しく、むしろこの面ではしろうとに近かつたというべきであり、検察官指摘のように、専門書の記載を正確に理解しえたかについては疑問がある。また、被告人は、前記のように、食品業界ことに食品添加物業界のいわゆる内幕を垣間見て、食品製造業者や食品添加物製造業者の中に悪質なものがいることを知り、厚生省の食品衛生行政のありかたに疑いを抱き、食品添加物は原則的に望ましくないとの意見を持つようになつたと認められるが、それらに関する具体的事例については本件各著書に多数記載されているものの、その真否や、仮に真実でないとしても、被告人が故意にでたらめを書いたものかどうかといつた点については何らの証拠もなく、被告人はそれらの事例を真実だと考えて、前記のような持論をもつに至つたと認めるほかないので、「AF―2」についても当初からそのような疑いの目でみていたものと推認される。そして、被告人の本件各著書出版の動機そのものは、前記4(二)にみたかぎり到底不当なものとはいえず、その他、本件につき被告人が上野製薬を攻撃することによつて競争相手の企業から何らかの利益を得るといつたような不正不当な動機のあつたことをうかがわせるような証拠は全く見あたらない。

被告人、食品添加物のようなものについては、無害であるかどうかが疑わしいということはすなわち有害であると考えるべきだとの立場に立つており、そのためもあつて、本件各著書の「AF―2」についての記載部分は、相当誇張的表現をとつてはいるが、右に述べたところや前記4(三)に列挙した右記載についての諸根拠からみると、被告人が、本件当時「AF―2」は右にみたような意味合いをも含めて有害であると(前述のように、自己の仕事一般についての一抹の不安感は基底に持ちつつも。)確信していたことは、疑いの余地のないところであると認められる。また、その根拠とするところも、前記(二)にみたとおり、その根拠とするところも、前記にみたとおり、客観的には確実なものとまで評価することはできないが、一応もつともだと思われるような面もないではなく、本件各著書中の「AF―2」の記載部分からすると、被告人は「AF―2」の半数致死量が微量であることを主たる根拠として、「AF―2」の有害性を論じているようであるが、前にみた被告人の自然科学面の知識の水準からすると、被告人としては真実それが主たる根拠となりうると確信していたとしても、ふしぎではない。

したがつて、被告人が、本件「AF―2」についての記載について、根拠欠如認識をもつていたとは認めることができず、この点については証明が十分でないといわざるをえない。

(五)  以上によると、被告人は、客観的には虚偽の風説を流布し上野製薬の業務を妨害したものと認められが、故意の点についての証明が十分でないことになるから、その余の点につき判断するまでもなく、公訴事実第一について、被告人は無罪である。

一公訴事実第二について

1序論

本件公訴事実については、被告人が昭和四四年五月一日午後零時ころ、株式会社日本教育テレビ(以下「NET」とする。)において、「NETテレビ桂小金治アフタヌーンショウ」に出演し、豆腐に使われるニトロフラン誘導体に関して、金魚を使用した実験を行ない、これが、放映されたことは、被告人も争わないところであり、関係各証拠に照らして明らかである。そして、証人北野敬雄に対する当裁判所の尋問調書等によると、公訴事実第一の各著書は、本件テレビ放映以前には、上野製薬の営業に、影響を与えないか、与えたとしても微々たるものであつたが、本件テレビ放映の影響はきわめて大きく、上野製薬は、「トフロン」の売上減少や「AF―2」や「トフロン」の信用回復のための宣伝費等による総額約一億一千万円の損害をこうむつており、公訴事実第一の各著書も、本件テレビ放映後、これと相乗的に若干の影響を及ぼし、右損害に一部寄与していると思われるとのことであり、すなわち、本件テレビ放映があつてはじめて、上野製薬に実害が発生したため、上野製薬が、被告人を告訴し、「AF―2」あるいは「トフロン」に関する本件公判が開かれるに至る機縁となつたことが認められる。

なお、本件についても、検察官および弁護人は、公訴事実第一同様、「AF―2」の食品添加物としての適性の有無、厚生大臣の許可、指定の当否等の点を争い、立証活動を展開しているが、刑法二三三条の業務妨害罪にいう「業務」は、正当な業務に限られるのではなく、明らかに不適法または違法なものでないかぎり、仮に、仮に、究極的には法的に許されないとされる余地のある業務であつても、いやしくも「偽計」などといつた卑劣な手段からは刑法上保護されるのが相当だと認められるものは、これに含まれると解すべきである。この観点からみるとき、上野製薬の「トフロン」についての業務は、厚生大臣の許可・指定に基づくなど、適式な手続のもとに行なわれているものであり、その許可・指定の客観的な当否や「AF―2」の食品添加物についての適性の有無いかんにかかわらず、いやしくも「偽計」とされるような不当な手段による妨害からは保護されてしかるべきであると認められるので、「AF―2」の許可・指定の当否等の点は、公訴事実第一の場合と同様、情状の点の点についてはともかく、業務妨害罪の成否とは直接の関連はないことになる。

さて、本件は、先にみた公訴事実第一の事件の場合と異なり、テレビ放映の内容という外形的事実の面においても争点が多く、主として証人のかたちでの相互にくいちがいのあるさまざまな証拠が提出されているが、その大きな原因は、右放映についてのビデオテープが証拠として保存・提出されていないことである。上野製薬関係者によると、自分たちは、本件放映後直ちにNETに赴き、ビデオテープを見せてもらいその保存方をNETに要請したとのことであるが、一方、NET関係者によると、ビデオテープを見た結果「トフロン」という商品名が放映されてはいないとのことで上野製薬の関係者も了承し、そのような要請はなかつたため、特に保存はしなかつたとのことであり、その間の事情は必ずしも明らかではない。ともあれ、本件テレビ放映の内容についての事実認定は、隔靴掻痒の感があるが、主として、本件放映についてのビデオテープを見た上野製薬およびNET関係者の証言に頼らなければならないことになる。

以下、本件についての無罪理由の説明にあたつて、まず、テレビ放映の内容のほか、本件実験に関する客観的事実関係を検討することとし、次いで、これらについての被告人の認識内容すなわち主観的事実関係についての検討に進むこととする。

2本件実験等についての客観的事実関係

<証拠>を総合すると、次のような事実が認められる。

NETでは、当時食品添加物一般に対し、世間の関心が高まり、それらが有害であるとの批判も数多く出ていたところから、家庭の主婦などに対してかなり視聴率の高かつた「桂小金治アフタヌーンショウ」という番組の中で、シリーズとしてこの問題をとりあげることとし、昭和四四年五月一日の同番組において、一〇分間程度をその第一回に充てることとし、その約一週間くらい前に、当時食品問題についての評論家として著名であつた被告人をゲストに依頼した。被告人はこれを受け、NETの同番組スタッフと打合わせた結果、食品添加物数種類について金魚を用いての実験をすることとし、本件テレビ放映に先立ち、その三〇分くらい前からスタジオでリハーサルを行なうとともに、係員をして、市販のエチルアルコール(以下単に「アコール」とする。)を買い求めさせたうえ、放映中のスタジオにおいて、前に列席した約二〇人の主婦の前で、金魚を用いてのニトロフラン誘導体(証拠上、それが「トフロン」であるか、「Zフラン」であるかは、はつきりしないが、そのどちらかである。)のほかサルチル酸等合計五種類くらいの食品添加物についての実験およびそれらの食品添加物の有毒性その他についての主婦との質疑応答などを、約一〇分間にわたつて行なつた。

さて、問題のニトロフラン誘導体の実験であるが、被告人は、まず、市販のごく普通の金魚が二匹くらい泳いでおり、水が半分程度まで入つている容量約二〇〇CCのコップを左手に持ち、かなりの量のニトロフラン誘導体をアルコールで溶かした溶液が五分の一ないし四分の一入つているやや小さめのコップの溶液を、左手のコップに、全体量がその六分目になるくらいまで注ぎ込んだところ、瞬時にして、金魚は激しく横転し、コップの底に沈んだ。そして、これらの実験は、全体で約一、二分間くらい放映されたもので、ニトロフラン誘導体の実験で金魚の変化がクローズアップで放映されたのは、数秒ないし一〇秒程度であり、右手のコップの溶液を注ぎ入れたあとの左手のコップの混合液中のアルコールの割合は二〇ないし三〇%であつたし、金魚の前記のような変化は、主としてアルコールの作用によるものであり、ニトロフラン誘導体の作用はほとんどこれに寄与していない。被告人は、右実験のはじめに「これはニトロフラン誘導体で、豆腐に使われている防腐剤です。水にとけないので、アルコールにとかして加えます。規定量よりも多量に加えます。」などとことわつている。

以上の事実認定について、二、三の説明を加えると、まず、被告人が右手に持つたコップ中の溶液について、被告人は、捜査段階から一貫して、インクびんのふたに、アルコールを入れてニトロフラン誘導体を溶かし、それを水でうすめたもので、アルコールはごく少量しか含まれていない旨主張しているが、前掲の田村豊幸作成の鑑定書等に照らし信用しがたい。次に、本件実験における金魚の変化の放映時間、左右のコップ中の溶液の量について、各証人間にかなりのくいちがいがあるが、これらの点については、主として高橋英吉らNET関係者の証言によるのがより正確であると判断して、前記のとおり認定した次第である。なお、検察官は、金魚がもつぱらアルコールの作用により死亡したと主張しているが、放映時間中に金魚が死亡したと認めるに足りる証拠は見あたらないのみならず、金魚の変化がもつぱらアルコールの作用のみによるもの、すなわち、ニトロフラン誘導体の影響は全くなかつたと認めることも、また困難である。

さて、前記認定事実によると、被告人が、本件実験において、金魚は、真実は主としてアルコールの作用により前記ような顕著な変化を示したのに、アルコールは単にニトロフラン誘導体を溶かすためだけのものに過ぎず、あたかもニトロフラン誘導体の作用によつて金魚の変化が起こつたものであるかのような印象を、スタジオに列席の主婦や全国のテレビ視聴者に与えたであろうことは否定できないところであり、したがつて、客観的には、被告人がそれらの人々に対し、真実に反する事実を告知して錯誤におとしいれ、上野製薬の「トフロン」の製造・販売の業務の運営を阻害するおそれのある状態を現出させたものであつて、刑法二三三条にいう、偽計を用いて人の業務を妨害したことに該当するといわなければならない。

3本件実験等についての主観的事実関係

まず、被告人がアルコールを用いた動機であるが、被告人は一貫して、リハーサルのときに、ニトロフラン誘導体が水によく溶けず、金魚がこれを避けて泳ぐため、困つて、専門書を開いてみると、ニトロフラン誘導体は水に溶けにくいがアルコールにはよく溶けるとあつたので、ニトロフラン誘導体をよく溶かすために用いたと主張しており、前記のテレビ放映中の被告人の発言もあり、これを否定するに足りる証拠は見あたらないから、そのように認めるほかはない。そして、被告人はアルコールを用いてリハーサルを行なつたうえ、前記のような本件テレビ放映に及んだわけであるが、次に、被告人が、本件当時アルコールの金魚に対する作用についてどのような認識を持つていたかを検討することとする。

被告人が本件以前に、この種の実験を行なつたという証拠はなく、本件のリハーサルの時の模様は被告人調書Ⅰ・Ⅱにある以上には詳らかではないが、少なくともアルコールのみを用いての実験をしたとの証拠はなく、被告人は、前記のように自然科学的知識は乏しく、アルコールについて専門的な知識を持ち合わせていたとも思われず、また、アルコールが金魚に激しい作用を及ぼすことが、一般人ならだれでも容易に推測できる常識的事柄であるとは到底言えないと思われる。そして、何よりも被告人が本件テレビ放映において、アルコール使用の点をことわつていることや、前記の客観的事実の認定について、被告人に決定的に不利に働いた鑑定人田村豊幸による鑑定を、被告人および弁護人の方であくまで求めたというような被告人の本件公判における言動に照らすと、被告人は本件当時、このようなアルコールの作用をよく知らず、金魚に対し、たいした影響は与えないだろうと軽信していたのではないかと考えられる余地が十分にある(なお、前記のとおり、被告人は本件実験時に使用したアルコールの量について、真実とは異なる供述をしているが、被告人の検察官に対する供述は本件後二年余も後になされたものであつて、記憶ちがいということも考えられ、右の結論を左右しないと思われる。)。

次に、被告人が本件当時ニトロフラン誘導体の金魚に対する作用についてどのような認識を持つていたかを検討してみると、被告人が、「AF―2」について半数致死量が微量であることから、急性毒性が強いとの認識を持つていたことは、公訴事実第一についての検討に際し、前述したとおりであり、被告人は本件のニトロフラン誘導体についても急性毒性は強いとの認識を持つていたと認められるのみならず、本件実験においては規定量以上に多量に用いることをことわつているのであり、本件実験に際し、被告人はニトロフラン誘導体が金魚に相当強い作用を及ぼすものと考えていたと認めることができる。

以上によると、被告人には、本件実験に際し、金魚をもつぱらアルコールで殺しておいて、ニトロフラン誘導体で殺したように見せかけるような意図がなかつたのはもとより、金魚は、主としてアルコールの作用により激しい変化を起こし、ニトロフラン誘導体の方は従たる役割しか果たさないだろうと考えていたとも認められず、逆に、主としてニトロフラン誘尋体の作用により激しい変化を起こし、アルコールのほうは、作用があつたとしても従たるものにすぎないだろうと考えていたとみられる余地が十分にある。なお、被告人調書Ⅱ中に「金魚が死んだのは、AF2のせいではなく、アルコールの作用で死んだのかもしれません。」との記載部分があるが、本件実験二年余を経た検察官の取調に対し、事後的な推測を加えたものとみるのが自然であり、行為当時の被告人の認識をそのまま表現したものとは認められないし、そもそも、公訴事実に記載されているような偽計を弄する意図を有する者が、わざわざテレビ放映においてアルコール使用の点をことわるはずがないと思われるのである。

結局、被告人は、前記2末尾記載のとおり、客観的行為としては、偽計を用いて人の業務を妨害したのであるが、本件実験がそのように人を錯誤におとしいれる結果を招来するものであるとの認識を被告人が本件当時持つていたと認めるには証明が十分でないといわざるをえず、偽計の点につき、過失の有無はともかくとして、被告人に故意があつたとまでは認定できないのであるから、その余の点について判断するまでもなく、公訴事実第二についても、被告人は無罪である。

三結論

以上述べた理由により、事実第一、第二のいずれについても、故意の点の証明が不十分であり、犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条後段により、被告人に対し主文のとおり無罪の言渡をする。

(鬼塚賢太郎 片岡安夫 安廣文夫)

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